2017/03/09

ちょっとした撮影ラッシュ。



最近はちょっとした撮影ラッシュでした。

まずは、

maayaにモデルをお願いした、私の気まぐれハンドメイドブランド「SHALOM!」の商品撮影。



写真はHPのSHALOM!ページで観られます。
商品の販売は主にBASEで。

うれしくも、発売から数日で既にsold outしたものもいくつか…
なので、人気のものを再販することにしました。
3月13日月曜日の予定です。

よかったらぜひチェックしてみてください!





そして、久々のボディーペイントのお仕事。


シンガーソングライターの里穂ちゃんの撮影でした。
(まだ詳細はナイショとのことなので詳しくは書けないのですが!)



カメラはお世話になっているフォトグラファーの杉本晴さんだったので
久々にお会いできてうれしかった!
撮影後、みんなでランチもしました♡

オープンサンド!



ごはん大事~~☆


maayaを撮影した日も…




前日にいなりの皮をたくさん煮て、



いなり寿司と手巻き寿司を作ったのでした♪



個人的に、何かおいしいものを食べている人を見てるのが大好きなので
無理言って撮らせてもらいました笑

う~ん!いい表情!♡

maayaはほんとに食レポが上手くて無限の才能を感じる…
ほんっとに詳細に魅力的に言葉にするセンスに驚く。
今度から動画に撮ろうと思います!笑



おっと、ついご飯の話ばっかりに。



そして3つ目の撮影は






いや、自分か~い。


そうです…

プロフィール画像撮りをしました笑



ずっと使っていた写真があったのですが、気付けばもう5年くらいも前の写真。
来月30歳にもなるし、さすがにちょっと…というのと、

エプロンを昨年「はるかきみへ」のものにしてから写真を撮ってなかったので、

思い切って撮り直し。


自撮りで!笑


自撮りっぽくないようにしたかったんだけど
どうだろう…これが自分で撮る限界だった…
三脚とカメラで撮ろうかと思ったけど(前回はそうした)
今回は自撮り棒を手に入れたのでそれで。


…自撮り棒もって撮ってるんだよこれ!
その状況が面白くて一人で笑っちゃった。



私、写真を撮られるのはほんとに苦手で、
カメラマンさん泣かせだし自分も泣きたい感じになるから
プロフィール写真はできる限り自分で何とかしたいと思っている次第。



まあ、しばらくはこれでなんとか!



口直しに





最近、お土産でもらってからお気に入りの

コンビニスイーツ。
その名も「しろもこ」!

見た目は真っ白なシュークリームだけど、
レアレアチーズケーキ!みたいなかんじです。

まろやか!

何より、名前が可愛すぎるよね…

セブンイレブンさんです。

レアチーズケーキが好きな方は気に入るかも?


(結局食べ物の話で締めくくる…)





shalom!良い夜を♡

















2017/03/07

バイバイ、アーティストシンドローム。


私が色々と作品を作ったり発表したりの活動をするようになってから7年くらい経つと思うのだけど、この数年ですごく感じたのは、若手女子アーティストの地下アイドル化、みたいなことだ。

私も若手女子アーティスト(?)のはしくれなので、そういう風潮にへんな違和感を感じたりする。アートを使って何かを訴えたり反抗しているようでも結局は世に消費される「カワイイ」を自ら選んで死んでいくような、そういうものがよく目に入ってくる。

人気のために、自己プロデュースとファンサービスを毎日がんばって、あげくギャラリーストーカーに悩まされて、理不尽な仕事とかノーギャラの依頼も笑顔で受けないと「売れない」「生きてけない」みたいな世界ってなんだろう…?ってよく思っていた。消耗して、消費される。いろんなクリエイターやアーティストの女の子の悩みを聞いたし、姿を見ていたし、自分自身にも悩みは大体いつもあった。

私が一番悩んだ時は5年ほど前だったと思う。当時様々な女の子達を写した写真作品をメインに活動していた私に、「売れる為にはこうすべき!」とか、「自分の世界観とかコンセプトを殺して、世間が喜ぶようなもうすこし性的なイメージを押し出した作品にしたほうがいい」とか、そういう所謂「賢い戦略」みたいなことを脅しみたいに押し付けてくる人がいた。人間の身体は美しいと思うけれど、もしも作品にそれを打ち出すとしてもそういう目的で利用したく無いというのが私の気持ちだった。

「まずは生活の為に、稼ぐためにやれることは何でもやるべきだ」「写真撮影に協力してくれてるモデルの女の子達にだって君が売れないと恩返しできないよ」って、「甘えてるだけだろう」って、散々言われたけど、どうも納得できなかった。その時はほんとうに辛かった。

実際、私の作品や名前が売れる事で自分のメリットを期待してるモデルの子ももしかしたら居たかも知れないけど、そうだとしても、やっぱり、私の世界観とか理想とか、想いに共感して作品作りに協力したいって、そう思ってくれた人達のこと信じてたから、そういう気持ちを一番大事にしたかった。その感覚、勘違いじゃないって思ったんだ。「売れないと続けられない」というジレンマは自分自身にも染み込んでたから、正直、迷いも多少はあったけど、「売れる」為に作品を作ってるんじゃないからと、その時自分の気持ちに真っ直ぐな選択ができて、ほんとうによかったと今思い返しても思う。もし流されて自分らしくないものを作ってしまったら、人の目には見えないとしても、傷になったと思うし、自分の方向性を見失ったかもしれない。それって、私についてきてくれた人や作品を真剣に観てくれて、気に入って買ってくれる人に対してもほんと失礼だ。それに、プライドもなく自分の気持ちもこもって無い物を作り出したところで、私はそれを、自分の作品だと思えないなって思ったから。

私にアドバイスをしてきた人は当時作品の撮影を依頼していたカメラマンで、かなり年上だったんだけど、その人はきっといろんな経験の中で培ってきた成功論を、純粋に私に伝授してあげようという親切心もあったとは思う。でも最終的には私がその人の思い通りにならない事で暴言を浴びせられたり耐えられない事があったので、私はその時企画を考えていたアイディアをその人に手放して決別させてもらった。そもそもその人には一時的に依頼しただけのつもりだったのだけど、その人は一緒にその企画でビジネスをしたかったようだった。そこにかなり思い違いがあった。自分がやりたくない方向性で作品を作らずにすんだのはよかったけれど、自分のアイディアを利用されるのがあんなにかなしいとは…。今の私だったら絶対にそうはならないと思うけど、あの時の私は今よりもっと経験が無くて自分の身を守るのに精一杯だった。


そんな過去もあって、ここ2年くらいはゆっくり色々考えた。

求められてるものと、自分がやりたいことをうまく折り合いつけてバランスとって、ちゃんと食べていける人はいるし、そうなれるのが一番いい事のようにも思えるし、よく言われる。だけど、私は絵とかテーマ写真とかそういうコンセプトがあって作る物についてはこだわりを曲げたりとかがどうしてもできない。だから、私は私の人生の選択として、そういう自分に合った生活と創作のスタイルを見つければいいと思った。

私にとって表現はいつもメッセージを伝える事を目的としている。だからビジネス的に誰かの需要に合わせるという事をした瞬間、その目的は達成できなくなってしまう。何故なら、作品にはいつもそこにメッセージがあって、私はそれを曲げたりなくすことができないから。だから自分発信の絵とか写真についてはそれで食べていく事を目的にはしないと、割り切って捉えることにした。

「作品で稼がないといけない」、「稼がないと一人前のアーティストではない」という囚われの思考とは、さよならした。かなりシンプルな頭になった。握りしめていたもの(常識と思い込んでいた事とか縛り)を手放すと自由になる。ほんとうに大切にしたいことって、そう多くはなかった。たぶん、自分を一番縛っていたのは、囚われた自分自身の思考回路だったんだと思う。



いまの私が大切にしたいことは


・家庭生活がいつも心地よいように管理し、どんな時でも大事な人たちとの時間を惜しみなく作る余裕があること

・世の価値観に囚われず自由な心で、絵などの制作活動(お仕事含め)によって、無限にもらっている愛を返してゆくこと

・ハンドメイドのアイテム販売やイベントで創作活動費を作り、一部を世界の貧困や紛争地域で傷ついている人達に寄付すること


こんな感じ。


私は絵をかいたりもの作りをしているけど、芸術のことってよくわからないし、そういう世界(ファッションや美容やアート、芸能含む)の良い悪いの判断って信用してない。売れてるものや評判がいい物が必ずしもほんとうに素晴らしいものとは限らないし、自分の感覚で好きか、嫌いか、というのはあるけれど…それ以上の事ってわからないなぁって思ってる。


なんかもやもやする時、それに気付いたら、その感覚をなかったことにしない方がいいかもしれない。自分を不自由にしているものを見極める事はすごく大事で、それをどんどん削ぎ落してさよならするのを怖がらない事が、平安な気持ちの鍵のように思う。二度目になるけど、「ほんとうに大切にしたいことって、そう多くはない。」よ。


人生は選択の連続だから、迷うこともたくさんあるけど、なんかもやもやする時は時間をかけてでも向き合って、方向転換が必要な時は勇気をもって向きを変え、また歩き出したい。


「人はうわべを見るが、主は心を見る。」という聖書の言葉がある。(第一サムエル記16:7) なので私は人の評価は気にしない。私が気にするのはすべてのものを創られた存在からの評価だけだ。


アーティストでいることさえも、手放すべき時が来たら手放そう。今はそう思える。私の価値は肩書じゃないし、アーティスト活動は手段であって目的ではないからだ。そして、メイドは「飾り」じゃないからね。私は死ぬまで主に仕え、主に仕えるように人に仕えるメイドで居たい。それが願いだ。